豊かさとは何だろうか…。
お金があって、なんでも欲しいものを手に入れられることだろうか。
でも人間の欲は際限がないから、どれだけ欲しいものを手に入れても、もっともっとと思ってしまうように思う。
日本は恵まれている
20年ほど前ピースボートに乗船し、アフリカや南アメリカなどの途上国を訪れた。
ピースボートということで、現地のNGOなどにも訪問し、貧困などのそれぞれの国が抱える問題を目の当たりにした。
スラム街などに暮らす人々を見ると、不謹慎だが日本人として生まれた自分に感謝した。
また、青年海外協力隊員として中東のシリアで2年間過ごしたこともある。
その当時は戦争などの影は全くなく、とても平和な国だった。
赴任地だったアレッポ近郊の極貧地帯ジャバル・アル・ホスの人々は、貧困ではあったが住む家や最低限の食べるものはあり、人々は支え合って生きていた。
そして異国から来た私をいつも暖かく迎え入れてくれ、私に忘れてしまった大切なものを思い出させてくれた。
だがその後内戦となり、村人たちの消息は不明だ。
村人たちは、戦争を望んでいたわけではないだろう。
ただそこに生を受け、生活をしていただけだ。
そんな経験をしてきて思うこと。
まず日本はとても恵まれているということ。
それぞれ様々な事情はあるだろうが、今のところ戦争に巻き込まれているわけではない。
貧富の差が広がりつつあるとはいうが、その格差も戦時中の国や途上国と比較したら上位となるだろう。
だから目の前の当たり前にあるものに感謝をしなくてはと思う。
私自身も日常を送っているとついつい忘れてしまうが…。
本当の豊かさとは
もう一つ思うこと。
物質的な豊かさと心の豊かさは比例しないということ。
シンプルな生活を始めて、特にその想いは強くなっている。
サラリーマンとして稼いでいたときは、それなりに贅沢をしていた時期もある。
贅沢をすると、その一時は満たされるが長続きしない。
そのうち贅沢だと思っていたものが日常になり、同じものでは満足できなくなる。
でも今は本当に必要なものと本当に欲しいものだけにお金を使う生活をしている。
欲しいものを買うときも、一時の感情ではなく時間をかけて決める。
本当に必要なのか、長く愛用することができるか、買って後悔するようなことはないか等々…。
そうやって手に入れたものは本当に愛おしく、永く幸福感が続く。
また大好きなものだけに囲まれている生活は、それ自体の満足度が高い。
ちょっとしたことに豊かさを感じられるという幸せ
友人との食事や、自分へ贅沢も、頻繁ではなくたまにすることで満足度は高くなる。
例えば、これまでは毎日飲んでいたスタバをやめ普段はインスタントコーヒーにしたのだが、たまに飲むスタバのコーヒーは私にとってはご馳走になった。
そんな感じで、日々のプチ贅沢を手放したことで、たまの贅沢から大きな豊かさを感じられるようになった。
そして何より、この感覚を知ることができたことに豊さを感じる…。
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